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フランスの幼稚園で「哲学」の授業を二年間行ったドキュメンタリー映画。考えさせられることの多い、優れたものだった。教師が問いを出しながら、子 供たちに考えさせ、議論させる。最初の一年間は、おぼつかない歩みだったが、二年目になると驚くほど子供は活発に議論し、成長する。「友だちと恋人はどう 違う?」「リーダーって何だろう? どんな人知ってる?」「死ぬってどういうこと?」「違い、違うっていうのは?」「自由って、どういうこと?」等々の問いを教師が提起し、子供たちは自分の 体験を出し合う。教師は、子供から答えが幾つか出た要所要所の段階で、他の子供たちに、「ところで君は、それに賛成? 反対?」「それはなぜ?」と問いを振ってゆく。これは素朴だが、ソクラテス的対話の原型であり、重要なポイントだと思う。移民の多い地区の幼稚園なので、 子供は、アフリカ系、中東系、アジア系など多彩で、白人は少数派。この構成がとてもよかった。


子供は抽象的なことを話すのではなく、自分の体験したことだけしか話せない。しかし、本質的なことを鋭く掴んでいるのに驚かされる。5歳の子 供たちに起きているのは、一言で言えば、「否定」を学ぶこと、自分は自分の視点から世界を見ていること、他者もそうしていること等々を学ぶことである。子 供にとって、自分の体験は世界のすべてなので、それとは違ったことが他者によって語られ、自分の体験とは違った体験があることを知るのは、非常に大きな驚 きである。「そうじゃないことがあるんだ!」という否定の体験は強烈で、こうして子供たちは、自分に見えている世界は自分の視点からのもので、他者もそれ ぞれそうなっていることを学ぶ。この映画の優れているところは、自分の体験を語る子供の表情や身振り、そして、それを聞いている他の子供たちの表情を、 アップで映し出し、それに多くの時間を割いていることだ。自分とは違った体験が他者の口から語られるのに耳を傾ける子供たちの、何という生き生きとした表 情!↓

子供が語る体験や「事実」は、ほとんどすべてが、親の語ったこと、家庭やTVで見たことなどのコピーであり、要するに「お仕着せ」であり、外 界の「模倣」である。そこには「主体的」「独創的」なものはなく、それぞれに「類型的」である。にもかかわらず、異なる子供の口からそれが多様に語り出さ れることによって、子供は自分の絶対的な体験が相対化され、自分の中に「再帰的な視点」が生れる。おそらくここに、「哲学」の営みのもっとも重要な役割が あるだろう。

 
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